•       “見ること”とはなんなのか。目の前のイメージを全て説明することは、おそらく誰にもできないでしょう。私たちはそのイメージに意味や記号を探し情報化することで、理解し認識しようとしています。そのプロセスにおいては、見る人の生きてきた社会的・文化的環境や経験、その人が持っている言語、あるいはその時の感情や気分によっても、イメージに見いだすものは異なってくるでしょう。すなわちイメージは、記憶としての過去を含み込んだ現在において、更新され続けます。”見ること”とはそのような、イメージが現れるのと同時に意味を付加しようとする行為との曖昧な境界に立ち臨むことです。
  •       私は、映像/写真/音といったタイムベースドメディアを用い、見る人の認識を一旦脱線させることで、イメージが特定の一つの記号として捉えられ硬直してしまうのを遅らせます。それは鑑賞者を一時的に盲目にすることを目指しているとも言えます。そしてその状態から何かを”見ること”を促します。そのためには、作品そのものが常に見える必要はなく、もしかすると作品がその場に存在すらしていなくてもよいのかもしれません。すなわち”見ること”とは、今対峙している何かに、想像力を持って多様な視点と視座を与えながら流動的なものとして更新し続ける行為です。
  • イメージが”見ること”そのものでありうるべく、私は作品を制作します。

STATEMENT